公務員の仕事内容

元官僚出演のジョブチューンに学ぶ公務員の仕事と議員との関係について。

こんにちは、元公務員のシュンです!

いつも当ブログをご覧いただき感謝しております。ありがとうございます!

 

先日放映されたテレビ番組の「ジョブチューン」に、元官僚の方が出演し、色々と官僚の内幕を暴露していました。

その中で国会答弁の話が出ていたので、ここにスポットを当て、元県庁職員である僕自身の経験も踏まえながら、公務員と議員の関係について色々と書いてみようと思います。

 

ぜひこれから公務員を目指す人には見て欲しい内容です。

これを見てアホらしいなと思う人は公務員に向いてないです(笑)




元官僚がジョブチューンで語っていた国会答弁について

ジョブチューンの中で、元官僚の方が話をしていた国会答弁に関する内容は、ざっくり言うと以下のような感じです。

 

  • 議員(与党・野党)の質問を事前に官僚が聞き取る。
  • 質問に基づいて官僚が総理や大臣の答弁書を作る。
  • 内容を総理や大臣にレクチャーし、本番の国会では総理や大臣が答弁を読む。
  • つまり、国会質問と答弁は事前に内容が決まっており、官僚という作家が作った脚本を総理や大臣という役者が演じているようなもの。
  • 一方、たまに事前に想定されない質問がなされることがあり、そういう時は答弁がしどろもどろになるケースもある。
  • なお、答弁の言い回しには独特なルールがある。
  • 例えば、「努めて参ります」や「検討して参ります」は、基本的にやらないことを指す。

 

これは地方(都道府県や市町村)でもほぼ同じです。

 

それでは、以下で詳しく触れた上で、僕なりの考えを書いていきます。

 

官僚(地方公務員)は作家で、総理・大臣(知事・市長や部長)は役者?

国会における議員の質問は事前に官僚が聞き取りをし、その答弁を官僚が作成の上、総理や大臣にレクチャーし、本番の国会で総理や大臣が答弁書を読む。

だから、官僚は作家であり総理や大臣は役者なんだと言われていましたが、まさにこれはその通りです。

 

地方公務員も同じ(地方公務員が答弁を作成し、知事・市長や部長が答弁を読む)ことが言えます。

 

さらに言えば、議員の質問内容についてもそれなりに調整が入ります。

つまり、事実誤認に基づく質問がなされたらまずい(要は議員が恥をかく)ため、事前に公務員が議員に指摘をしたりして調整します。

 

その際、あまりにもズレた質問だということになれば、議員自ら質問を取り下げることもあります。

 

ぶっちゃけ、相手の質問までご丁寧に直してあげるんですから笑っちゃいますよね。

 

執行部(総理・大臣、知事・市長・部長など)の答弁はもちろんですし、質問をする議員にも恥をかかせてはいけないという文化が役所の中にはあります。

 

確かに、そういったことが議会というショーをスムーズに進めるためには重要であり、また、恥をかかせれば議員側が色々と逆襲に出てむしろその後色々と面倒になるという実際問題のところは分かります。

 

分かりますが、それって本質なのかなと言えば絶対違うと思うんですよね。




「努めて参ります」という答弁は何もやらないこと?

「努めて参ります」とか「検討して参ります」というのはよくある答弁の内容です。

 

そして、ジョブチューンの中でも話が出ましたが、努めて参りますとは何もやらないこと、検討して参りますというのは何かしら検討はするが、やるかやらないかの判断を先延ばしにすることを指します。

 

後者の場合、検討はしなければならないので、その後の公務員の仕事が増えます。(次回の議会で質問されたらどう検討したのか答えないわけにもいかない)

よって、努めて参りますを好みますね(笑)

 

ただ、議員が議会の度に同じ質問を繰り返すようであれば、顔を立てる(それが本当に効果があるからという理由でなく、そういう意味不明な理屈で動きます)ということで、回答が「努めて参る」から「検討して参る」最後には「やります(全面的にやるというより、効果は見込めないようなスケールの小さいことをやるケースが多い)」という感じでグレードアップしていくケースは多々あります。

 

さて、この独特の言い回しについて、「努める」とか「検討する」というのは「やるとは言ってないでしょ」と元官僚の方達が得意げに話していました。

いや、確かにそうなんですが、全然得意げに話すようなことじゃないですよね(汗)

 

そもそもなぜこういう表現をするかというと、質問した議員の顔を立てるため(「やりません」というと角が立つ)ということになりますが、僕にはそういう文化が理解出来ませんでしたね。

 

それに、1〜2分で終わる作業ならいいですが、答弁作成と担当課長検討あたりで何時間とかかってるわけです。

さらに、最終検討の段階でも、結論部分である「努めて参る」か「検討して参る」といった言い回しについてさらに色々と議論するわけです。

全く生産性が無かったです。

 

僕はこれを生涯に渡ってやっていくことは人生における時間の浪費だと思いましたし、幹部になる頃にはそこを無難にやり過ごそうとなってしまうであろう自分自身に恐怖を感じたというのが公務員を辞めた大きな理由の一つでもあります。




公務員と議員の関係性はもっと生産性の高いものであるべき

本当に重要な質問がなされるようお互い対等な立場で議論すべき

「恥をかかせないように」なんてことを気にしながらつまらない言い回しの検討をやるくらいなら、議会の場で「ご質問の件について、そもそも借金が多く収支が厳しい中でそんなことをやってる場合じゃないです」と率直に言えばいいんじゃないのというのが僕の意見です。

 

もしくは、質問案の段階で、公務員と議員が十分に議論をして、そういった質問は取り下げればいい訳です。

(大抵スケジュール的にそんな時間は無いんですが、そういうスケジュール感にすればいい話です)

 

そうすればより質問の中身のクオリティも高くなり、どうでもいい質問も無くなって議会時間も短縮できます。(別に大した質問もないのに、議会に時間をかけるのは時間の無駄です)

 

あくまで議員や行政がやるべき「本質」は国民生活にメリットのある施策を行うことです。役割が違うだけで、目的は一緒(のはず)です。

 

そうであれば、限られた収支で最大限の効果を得るべく議員と公務員が協力し、話し合い、お互いの役割を全うすべきというのが本来の姿であるということになります。

 

議員はもう少し謙虚であるべき

基本的に議員というのは公務員に比べて圧倒的に上の立場です。

要は「偉い人」なんですね。

 

国会の「国権の最高機関性」とか、国民とか県民の代表として選挙で選ばれてるんだからというところがその拠り所なのでしょうが、正直私には理解できませんでしたし、いまだに理解できません。

 

国民全体や県民全体の利益というところを考えた時、明らかに無意味な事業のアイデアであれば、そこは議員であっても諌められるべきであり、議員側も素直に受け入れて、むしろ行政の知恵を借りながら自分なりのビジョンを達成して行けばいいだけの話です。

 

しかし、公務員は諌めるようなことはあまりしませんし、なぜか議員の言うことは絶対、とまでは言わないですが、下手に出ざるを得ない、という感じになっています。

結局そういうことが、「努めて参ります」とかで顔を立てるとかいったつまらないことにこだわるところに繋がっています。

 

何でこうなるかと言えば、もちろん議員にもよりますが、とんでもなく横柄な勘違い議員(それこそ公務員は下僕だとでも思っている)がかなり多いことに間違いなくその要因があります。

県議会にもそういう方はたくさんいました。

 

そして、それがあまり大きな疑問も持たれず続いてきた文化・歴史があります。

その主従関係の中で、議員側は議員側で持ち上げられていい気分になり、公務員側は変な仕事を増やされないよう無難にやるといった感じになっているのが実態です。

 

成果や生産性などは二の次になっているとしか思えませんでしたね。

 

まとめ

要は、本質は何なのかという点をお互い良く考えましょうということに尽きます。

 

ただ、結論から言えば、この文化は絶対に変わらないでしょう。(その場合は政治制度を変えるしかないです)

 

仮に執行部側が議員の質問に対して強気な姿勢を貫いた場合どうなるかと言えば、反発にあって議会は停止し、物事は何も進まなくなります。

 

つまり、理想と現実は違うということです。

そしてその現実の裏には頑強な昔からの(謎めいた)文化がある。

 

ジョブチューンに出ていた元官僚の方が「努めて参ります」の意味を得意げに語っていたように、そういうテクニック?らしきものに何か楽しさみたいなものを見出す人でないと、なかなか公務員暮らしは辛いものがありますよ。

 

特にお偉いさんになればなるほど避けれない部分ですから、公務員になりたい人、出世したい人はその点はよくよく意識しておく必要があります。

 

個人的には関与せずに済むようになって良かったというのが正直なところです(笑)

 

今回も貴重なお時間の中で文章をご覧いただきまして、本当にありがとうございました!

 

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