こんにちは、元公務員のシュンです!
いつも当ブログをご覧いただき感謝しております。ありがとうございます!
今回は、公務員の仕事のやりがいをテーマにした現役市役所職員の妻と元県庁職員の僕のやりとりを対話形式で書いていきます。
そこらの職員採用案内を読むよりもずっとリアルな中身になっていると思います(笑)
市役所職員の妻が考える公務員のやりがい
土日休みで、給料は安定しているという条件面の良さ
嫁さん
金曜のお酒が美味しいことと、土日が休めることかなぁ。
シュン
えっ、それって仕事のやりがいじゃなくない?
土日休める仕事ならどれでも一緒じゃん。
嫁さん
でも、
それなりにお給料はそれなりに安定してるし。
子育ての時の育休なんかもしっかり取れるし。
シュン
なるほど、それなりに色んな条件が安定しつつ、しっかり土日が休めるというのがやりがいなわけだ。
仕事の内容について言えば、公務員だからこそのやりがいは特に無い
シュン
例えば、人の役に立っているなーって実感するとか、感謝されるとかさ。
嫁さん
ちょっと今日中にこなすのは厳しいかなと思うくらいタスクがたくさんある時に、なんとかギリギリこなし切った時にはやりがいを感じるかな。
シュン
ただ、あんまり公務員だからって感じではないよね。
どの仕事でもありそうな話。
嫁さん
でも、公務員だからこそっていうのは特に思い付かないかなぁ。
元県庁職員の僕が語る公務員のやりがい
シュン
俺の場合、内部管理みたいな仕事が多かったからね、予算とか。
ぶっちゃけ、誰かの役に立っている感じが全く無かった。
シュン
もちろん、予算がついた時に県庁の人から感謝されることはあったけど、正直、カネばかりかけて成果はとても得られないような事業ばっかりだったから、これってどうなんだろという思いのほうが強かったよ。
シュン
ただ、役に立たない事業だからどんどん辞めましょうとは組織として簡単にいかない部分もあって、そういう自分の中で納得のいかないことをあと何十年もやっていくというのは、一度しかない人生において絶対にあり得ないなっていうのはあった。
シュン
要は、絶対に譲れない価値観が組織の価値観とズレてるとダメだと思う。
住民の方から感謝はされるのか?
シュン
ところで、市役所の場合、住民から近いわけじゃない。
シュン
県庁の場合、住民というよりは俺みたいに内部管理的なところとか、それ以外でも国・市町村や事業者とかかわることが多いんだけど、住民から近い市役所だからこそのやりがいってあるんじゃないの。
事業がめちゃくちゃ多いことに対し、やった感を感じるというのはある
シュン
惰性で続けている正直どうでもいいような事業がいっぱいあるんだけど、とにかく多いことは多い。
シュン
で、それが細分化して担当者に渡される。
あなたはA事業とB事業とC事業と・・・H事業担当ねみたいな感じで。
シュン
副担当もいることはいるけど、その副担当もたくさん事業を持ってるから、実質的には正担当者が各々責任を持って各事業を進めていくことになる。
シュン
結果として、
与えられたたくさんの事業をこなしてクリアしていくことにやりがいを感じるというのはあると思うんだよね。
同期とか周りの人を見ていてもそんな感じだったなぁと思う。
シュン
本質は、その事業がどれだけ費用対効果があったのかとか、とにかく成果の部分なんだけど、量が多すぎるのと、そこをしっかり検証するマインドが文化として根付いていない。
シュン
しかもひどいことには、一度やり出したらやめるのが難しい(事業者や団体、議員などとの調整が大変)からどんどん事業ばかり増えていく。
シュン
だから担当者としては、事業をこなしてこなして、やった感にやりがいを見出すしかない。
シュン
与えられたものを淡々とこなすことが好きな人はいいと思うんだよね。
シュン
あとはさっきも話に出たように、土日休みで安定した給料っていうのは確かにあると思う。
子育てを重視する女性なんかは、そういう環境で働けること自体をやりがいと捉える人もいるのかもしれないねー。
おわりに
なんかあんまり熱い話でなくてすいません(笑)
なお、我々二人は行政職なわけですが、技術職の人(土木、建築、保健師など)のほうが、仕事そのものにやりがいを感じている人は多かったです。(これは夫婦二人ともに共通した意見です)
実際に道路や橋を作ったりだとか、保育指導に関わったりだとか、プロフェッショナル性が追求される仕事の性質からもやりがいを感じやすいのかなと思います。
また、利益にならない部分について、公益としてやっていくことにやりがいを感じるみたいな話が採用案内の中で出ていたりしますが、そんなことを我々夫婦は一度も感じたことがないですね(笑)
これは公益的なものだからやりがいあるなーとか、これは利益追求しているからやりがいがないなーとか、それは絶対に幻想です。
→むしろ、収支バランスが完全に狂っているのに、住民に必要とされているからと言ってどんどん事業を増やそうとする考えは「自治体の経営」としては完全に無責任であり、かなり問題があると個人的には思います。
今回も貴重なお時間の中で文章をご覧いただきまして、本当にありがとうございました!
>>公務員の適性(向き・不向き)をまとめた記事はこちらです
拝読させていただきました。
「公益のために」という気持ちは仕事中に全く感じないというお話はとても勉強になりました。笑
さきほど別のところに似たようなコメント書かせていただきましたが、それに関連してですが、ご夫婦での対談を読ませていただいて思ったことを追記したいです。
「公務員で感謝されたことがない」という話がありました。
これを聞いておもったのは、民間でも感謝されることはあんまりないということです。
基本的に「やってあたりまえ」。豊かさに慣れてしまったからともいえると思います。
でも、感謝されなくても社会になくてはならない仕事もあると思います。
公務員もそのひとつだと思います。
お金はサービスの対価として、いわば「感謝」の代わりに(本来は感謝でも良いのだが、経済社会なので)払われているものだ、と思います。
だから普段日常で感謝を感じることは少ないと思います。
感謝は「支払うお金と等価でない(プライスレスな。あるいは、お金以上の)サービスを受け取ったときにするもの」だと思います。
職業では、お金(公務員であれば税金)と引き換えにサービスを提供している以上、市民は感謝する必要はないともいえると思います。
それとあわせて、さきほど別のところに残させていただいたコメントと関連することですが、
職業とは基本的に労働(お金をもらうこと)だと考えると、感謝されることは「労働」の対価というよりは「仕事(お金をもらう「労働」とは異なる。)」を通した自己実現の在り方と考えられると思います。
また、例えば、労基は労働者には感謝されるかもしれないけど経営者からはなかなか感謝されない。そういう意味で、感謝は「労働・職業(お金をいただくこと)」においては絶対的にあるものではなく、相対的なものだと思います。
感謝されることとお金をもらうこと(=労働・職業)とは必ずしも両立しない。
だから人は、無報酬のボランティアとか子育てといった直接お金にならないこと(労働ではないもの。仕事。)にも取り組みたくなるのではないかなと思います。
一般ピーポーで、お金をえると同時に感謝も得る人なんて高スペックな人はなかなかいないんではないかなと思います。
「労働(職業・つらいこともある)」でお金を得て、「仕事(公私問わずやりたいこと・やるべきこと)」で感謝を得るということも目指す方向としてはアリなんではないかなと思います。
長文にわたってコメントをいただき、心より感謝申し上げます。
筑波大准教授の落合陽一がワークアズライフという考え方を提唱していますが、私個人としてはそのような方向を目指したいなと考えています。
(物の見方、考え方というのは人の数だけあるため、自分がどの考え方で満足を覚えるかというのが人生にとって重要なことなのかなと思っています)