こんにちは、元公務員のシュンです!
いつも当ブログをご覧いただき感謝しております。ありがとうございます!
今回は、人間関係をテーマに書いていきます。
人の悩みは究極的には人間関係です。
職場・近所・親戚・家族など様々な場面で色々と人間関係の悩みを抱えていらっしゃる方も多いと思います。
今回は、人間関係の悩みの解決法と、なぜその解決法を取ったほうがいいのかという点について書いていきます。
ズバリ、人間関係の悩みを解決するには偏見に従おう
要は、好き嫌いに忠実に従うということ
早速結論から行きます。
- 人間関係の悩みを解決するためには偏見(好き嫌い)を持つ
- 偏見に従って、嫌いな人とは明確に距離をおく
ということです。
差別はまずいが、この解決法に従えば差別は起きない
この人が嫌いだから不利な扱いをしようというのは差別であり、ここに進んでしまうのはまずいです。
ただ、そもそも好き嫌いに従って嫌いな人と距離を置けば、こうした差別は起きません。
なぜなら、嫌いな人と我慢して付き合っているというストレスこそが、その人が不利になるような扱いをするとか、裏で陰口を言うとかいったことに繋がっているからです。
近づかなければ、その人とのかかわりがないので、何かやったり言ったりしようとする気になりません。
また、不利な扱いを受けているのであれば、やはり近づかなければそのうち向こうも相手にしなくなります。
なぜなら、アンチの人にとって最も辛いのは全く相手にされないことだからです。
→投資家の与沢翼さんもそのことを先日語っていました。
嫌いな人とも仲良くしなければいけないというのは洗脳であり幻想
道徳教育における洗脳
誰とでも仲良くしようという考え方が多くの日本人の脳に刷り込まれていますが、これは道徳教育による洗脳です。
そもそも、「道徳」という考え方を取る国は世界でもごく少数であり、全くメジャーな考え方ではありません。
少数だから悪いとは言えないと思うかもしれませんが、日本ではそれが出る杭を打つ(平等の名の下に引きずりおろそうとする)方向に働いていて、目立ったことをすればすぐにメディアで叩かれるというところに繋がっています。
日本に飛び抜けた実業家が少ないというのはここに要因があると言っても過言ではありません。
もちろんある程度のレベルで安定しているというメリットはありますが・・・。
できもしないことを教えている
そもそも、道徳を教えている教師や親すら、皆仲良く平等にということができていません。
自分ができもしないことを教えるなどというのは普通に考えればあり得ませんよね。
しかし、それを自我が確立する前の幼少期から刷り込まれるため、嫌いな人とも我慢して付き合っていく必要があるよなぁ、みたいな考え方が無意識に浮かんできてしまうことになるわけです。
以下、芥川龍之介の言葉を引用します。
我我の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。
唯我我の好悪である。
或は我我の快不快である。
芥川龍之介 侏儒の言葉より
おっしゃる通りです。
わざわざこういう当たり前のことに反する教育を押し付けて、結果的に嫌いな人と無理に付き合ってストレスが溜まるというところに多くの国民を追いやっているわけですから、正直非常に問題であると言えます。
余談ですが、ある程度の層(富裕層や知識層)の人たちは、こういった道徳教育の問題点を把握しており、子どもに公立校で教育を受けさせるのは危険だと考えている方が多いです。
海外で教育を受けさせるとか、私立校を選択するといった対応を本気で考え、また、実行しています。
好き嫌いの無い人は誰にも好かれない
好き嫌いの偏りがあるからこそ、意味のある人間関係ができるわけです。
結婚なら、他の女性よりその女性が好きだから結婚するということであり、親友については、他の友人よりその友人が好きだから深く付き合うということです。
好き嫌いが無ければ誰にも好かれませんし、意味のある人間関係を構築することはできません。
(時間は無限ではないのですから、自分で偏りをつけて選んでいく必要があります)
というより、好き嫌いなく誰とでも仲良くできるというのはむしろ人間ではないと言えるでしょう。
(まさに宗教で言えば、誰とでも好き嫌いなく接することができるというのは神の所業であることが述べられていたりするものがあります)
嫌いな人にはとにかく近づかない
居心地が悪くなる時間を過ごすだけ無駄
最初に書いた通り、好き嫌いに従って、嫌いな人とは距離をおきましょうというのが人間関係の悩みを解決する方法です。
そこに反して、「せっかく誘ってもらったのに悪いんじゃないか」とか「この人から学べることがあるはずだ」といった、道徳観念に裏打ちされた考え方に基づき、嫌いな人と時間を過ごしたとします。
その場合、当たり前ですがストレスがたまるだけで話も弾みません。
そして、そこに何か意味はあるのかと言えば全く意味などありません。
はっきり言って、ただの無駄な時間です。(というより、ストレスが溜まる分自分にとって害と言えます)
もし嫌いな人からの誘いがあっても、何かしら理由をつけてキッパリと断りましょう。
何度も断っていれば必ず誘われなくなります。
その人が欠点を指摘するような人間は最悪だから無視
人にとって最も重要なのは自信です。
極論、自信さえ持っていればどんなことでも成し遂げられます。
もちろんプロセスでは色々とありますが、自分なら絶対うまくやれるというのが継続力の源であり、また、継続をしなければ絶対に物事を成し遂げることはできません。
逆に、自信を崩されると夢は叶わないし、人生も最悪な方向に進んでいきます。
つまり、欠点ばかり指摘してくる人とか、直接罵声を浴びせてくるような人とは絶対に接するべきではありません。
(もちろん、自分が誰かの批判・非難ばかりしていてそれを指摘されたというのであれば、そもそも自分自身を見直すべきです)
そういう人は無視して近づかないことです。
人は絶対に変えられない以上、言い争いをしても基本的に無駄ですからやるべきではないですが、最悪言い争いになった場合は自分を優先すべきです。
その人との関係性が完全に壊れたとしても一切困りませんし、むしろ人生においては大きなプラスです。
欠点を指摘するというのは、その人的には良かれと思ってやっているのかもしれませんが、そういう人に物心両面で成功している人は間違いなくいません。
そうではなく、自分の好きな人、お互いの良い点を認め合う人たちと付き合うようにしましょう。
おわりに(脳ではなく、心に従えばうまくいく)
人間の脳というのは、過去の情報に基づいて考えるしかありません。(つまりそこから導き出される結論も、必ず過去に見聞きした情報に依存します)
しかしその過去の情報が、「皆仲良く平等に好き嫌いなく」みたいな道徳教育だったりするわけです。
だから嫌いな人なのに、この人からも学べるとか、この人とも付き合わなければとか、人間関係には我慢も必要だといったひどく不自然な考え方が出てきてしまうことになります。
しかし、そもそもおかしい前提に従ってもどうしようもありません。
その時は素直に心に従いましょう。
直感は情報に依存しませんから、直感的にこの人が嫌いだと思ったらそれは間違いなく正しいです。
そして最初に書いた通り、嫌いな人とは距離を置き、自分の好きな人たちと時間を共有するようにしていきましょう。
(さらに言えば、叶えたい夢があるのなら、その夢を叶えている人たちとどうにかして接点を持つようにしましょう)
そうすれば、間違いなく幸せに近づいていくことができます。
今回も貴重なお時間の中で文章をご覧いただきまして、本当にありがとうございました!
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