こんにちは、元公務員ブロガーのシュンです!
いつも当ブログをご覧いただき感謝しております。ありがとうございます!
今回は、天才と狂気がテーマです。
僕の憧れる3人の天才を取り上げ、そのエピソードや発言を元に、狂気との関連性について書いていきます。
本記事の内容
- 3人の天才と狂気
- 3人の共通点は何か?
- 狂気の元を見つける方法
自分の真の才能を発揮して生きていきたいと考えている人はぜひご覧になってみてください。
3人の天才と狂気
以下では、僕が好きな天才3人を取り上げて、彼らの狂気に関するエピソードを書いてみます。
取り上げる3人は、
- 吉田松陰(思想家)
- 甲本ヒロト(ミュージシャン)
- 山野井泰史(クライマー)
です。
吉田松陰
一人目は吉田松陰です。
松陰の私塾「松下村塾」からは、維新の立役者である高杉晋作をはじめとし、初代総理伊藤博文や3代・9代総理である山県有朋らが輩出されています。
彼がいなければ明治維新は成し遂げられることはなかったと言っても過言ではないほどの役割を果たした人物です。
そんな松陰が好んで使っていた言葉が「狂」です。
彼が書いた「狂愚」という漢詩では、
「狂人は常に鋭く新しい物事に取り組む」と狂を肯定する一方、
「才人は主義主張をすぐ変える、良識者と呼ばれる人は八方美人である、俗世間の評判はまるで逆さまになっている」と知識人や良識人といった人を否定的に捉えています。
松陰の狂の実践としては、外国軍艦への密航事件が挙げられます。
彼はアメリカから黒船が来航した際、「このままでは日本は列強の占領下に入ってしまう、すぐに西洋文明を学ばなければいけない」と考え、その後ロシアの軍艦に密航を企てます。
これは黒船に恐れおののいていた当時の日本人たちからすれば、完全に狂っているとしか思えないような行動です(しかし今の時代から見ればとてつもない先見性を持っている)。
彼はその後松下村塾を開いてその後の明治政府を担う人材を数多く輩出するわけですが、まさに彼の狂気と情熱こそが、多くの素晴らしい塾生を生み出したと言えるでしょう。
最終的に松陰は、日本にとって不利な条約をアメリカと結んだ幕府に怒り、老中の暗殺計画を企てて処刑されてしまいます。
そんな彼の辞世の句は、
「身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
処刑される直前にあっても、自分の思想を後世の人たちが必ず引き継いでくれるだろうという未来への希望で満ち溢れている感情が察せられます。
松陰は、
「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」
という言葉も残していますが、もはや死ぬタイミングだと考え、特に未練は無かったのだと思います。
こうした境地に至れるというのは、やはり一種の狂気的なものがあると言えるでしょう。
甲本ヒロト
二人目に取り上げるのは甲本ヒロトさんです。
現クロマニヨンズのボーカルというよりも、元ブルーハーツのボーカルと書いたほうがピンとくる人は多いかもしれません。
リンダリンダ、TRAIN-TRAIN、情熱の薔薇など数々の名曲を歌い上げてきた彼ですが、世界の北野武が嫉妬している人物の一人(もう一人は所ジョージ)として名前を挙げたり、ダウンタウンの松本人志からも尊敬されていたりするなどいわゆる天才に好かれる天才です。
彼のライブパフォーマンス(狂気そのものと言っていいかもしれません笑)やテレビ出演の際のコメントなどを聞いていると、徹底的にやりたいことをやって生きている人とはまさにこういう人なんだろうと感じます。
↓以下の記事が参考になると思います。
そんな彼が好きなこと(ロック)だけをして歩めるようになったきっかけとして、中学1年生の時にロックを耳にした瞬間を挙げています。
「最初はね、理解できなかった。体が先に反応したの。涙が出てきた。涙だけじゃない、声も出たよ。うわーん!って声を出して泣いて、畳をかきむしるような興奮、震えるような熱狂がブワーッと押し寄せてきて、僕は気が狂ったのかな、と思った。」
彼は良い意味で発狂し、それが今まで続いていると言えるでしょう。
山野井泰史
三人目は山野井泰史さんです。
初めて聞く人も多いかと思いますが、クライミング(垂直に近いような崖を、手や道具を使って登っていくこと)をやっている方なら知らない人はいない世界に誇るクライマーです。
Googleで山野井泰史と検索すると、予測ワードで最強とか伝説とかが出てきます(笑)
山野井さんの超人的エピソードとして、ギャチュンカンというヒマラヤの約8000メートルの山を下山している最中に雪崩の直撃を受けた際のものがあります。
この時、共に下山していた奥さん(夫婦揃ってのクライマーです)が雪崩に流され、ロープに宙吊りの状態になってしまいます。
山野井さんは奥さんを救出しようとしますが、雪崩の衝撃で視力が失われてしまっておいたため、手袋を外し、壁を素手で探りながらルートを見つけていくという行動に出ます。
しかし外はマイナス40度、凍てつく壁を素手で探ればいずれ指は凍傷で使えなくなります。
そのため、普段使わない指はどれかということで、まずは左手の小指、次に右手の小指という感じで、一本ずつ指を犠牲にしながらルートを確保し、少しずつ降りていって奥さんを救出した上で帰還に成功します。
結局この登山で、彼は手と足計10本の指を失うことになるのですが、最悪とも言える状況の中、冷静に判断をおこなって自分の力を発揮できた登山だったと評価をしているところに凄まじさを感じます。
そんな彼は、テレビの情熱大陸に出演した際、
「山登りを知った時からずっと発狂状態なんだよね」
と述べています。
発狂状態で、山が登りたくて仕方がないから、そのためのトレーニングは努力とか辛いとか思うことがない。
それは指を失っても同じだということです。
(なお、彼は指を失った後にも、未踏峰を制覇したりといった凄まじいチャレンジを続けています)
3人の共通点は何か?
3人の天才に共通している点を挙げると以下のような感じになるかなと思います。
- 発狂的な瞬間(引き金)の経験を持っている
- やりたいからやっている(そのためのいわゆる努力というものを本人は努力だと感じていない)
- 超一流である
- 人生楽しんでいる
やりたいからやるというところに努力は存在しない?
天才を語る上で外せないのが「努力」の扱いです。
天才は圧倒的な努力をしているとか、努力する才能こそが天才たる所以であるというのはよく聞く言葉です。
一方で、今回取り上げた3人(吉田松陰はおそらくそうだったろうと察するしかありませんが)からは、「努力」という何か一種辛いイメージを持つ存在の雰囲気が感じられません。
「今これが流行っているとかで乗っかっているんじゃなくて、自分が楽しいことをやってきた。
それで今も楽しい。流行に流されていたら今の楽しい自分たちはいなかったかもしれないから。」
甲本ヒロト テレビインタビューより
「「精神力」とかではないかもしれない。ぼくは登山の技術とかを我慢して維持してるわけじゃないからね。
なにか耐えてるとか、「頑張らなきゃ」とか努力してるわけではないですよね、まったく。
やっぱりぼくは、ただただ登るという行為がおもしろいから登り続けているんだと思うんです。」山野井泰史 ほぼ日刊イトイ新聞インタビューより
ちょっとくらい才能があったとしても、実はそんなに好きでもないことをやっている人生は面白くないでしょう。
それは、最悪ではなくても、普通とか、普通よりちょっと良い人生であって、最高の人生ではない。
上で挙げた天才たちのように、努力を努力と感じずに楽しんで成果を出す人生を送るというのが、誰もが理想とするところではないでしょうか。
狂気の元を見つける方法
先ほど、3人の共通点として以下を挙げました。
- 発狂的な瞬間(引き金)の経験を持っている
- やりたいからやっている(そのためのいわゆる努力というものを本人は努力だと感じていない)
- 超一流である
- 人生楽しんでいる
これらは全て関連しています。
すなわち、
「発狂できるほど好きなものを見つけるから→それだけを人より圧倒的にやり続けて→超一流になれる。当然金銭面でも困ることはなく人生も楽しい。」
というサイクルが実現していると言えます。
よってポイントは、発狂できるものを見つけられるかというところにあると言えます。
甲本ヒロト「最初はね、理解できなかった。体が先に反応したの。涙が出てきた。涙だけじゃない、声も出たよ。うわーん!って声を出して泣いて、畳をかきむしるような興奮、震えるような熱狂がブワーッと押し寄せてきて、僕は気が狂ったのかな、と思った。」
山野井泰史「山登りを知った時からずっと発狂状態なんだよね」
吉田松陰→黒船来航を見た瞬間?
では、どうやればこうした発狂ポイントを見つけられるか?
それは結局、興味を持ったことをやってやりまくるしかないというところに尽きます。
- 好きでも得意でもなかったらさっさと見切りをつけて次に行く。
- 得意だが好きでないのであれば、それをベースにする中で(少なくとも金銭面で困ることはない)、新たなことにチャレンジしていく。
こうした繰り返しの中でのみ、本当の発狂ポイントが見つけられるでしょう。
今回取り上げた3人は間違いなく天才です。
しかし、若い頃に狂える何かを見つけることができたのは単に幸運だった。
一方で、我々も全員がその「何か」を持っていて、それは発見してもらえる瞬間を待っている。
と考えるほうが人生は面白いですよね。
おわりに【発狂ポイントは分かるのか?】
甲本ヒロトさんは、初めてロックを聴いた瞬間(まさに発狂した瞬間)について、「その瞬間は忘れないか?」と聞かれて、「忘れない。だって芋虫がちょうちょになるんだよ。」と答えています。
山野井さんも、子どもの時に登山の映画を見たことをトリガーとして挙げていますし、おそらくその瞬間は絶対に忘れないものなのでしょう。
人生は一度きりです。
その中で、今回取り上げた3人のように、最高に人生を楽しめるチャンスがあるのであれば掴まない手はないだろうと思います。
しかしそのためには、とにかく動いて色々なことをやってみるしかありません。
今回の話で何かピンと来た方は、ぜひ自分の興味があることを一歩ずつはじめてみましょう。
今回も貴重なお時間の中で文章をご覧いただきまして、本当にありがとうございました!